実験記録406

実験大好き

お前らが「神のみぞ知るセカイ」を見ることを願って

神のみぞ知るセカイ」は漫画。恋愛が主題だし、ギャグ要素も多いから、まさにラブコメディ。


ここからあらすじ。

地獄から抜け出した悪人の魂である「駆け魂」が人の心の隙間に入り込む。

主人公たちは駆け魂を捕まえなければならない。

捕まえるには心の隙間を埋めて駆け魂の居場所を奪い、追い出す必要がある。

「心のスキマを埋めるには恋が一番!」

このような事情から、重度のギャルゲーオタクの主人公が現実の少女たちを”攻略”していく。



あらすじ、わかった?


わかったなら、漫画かアニメを見てきて。
kindleで2021/06/17まで1~5巻が無料で見られる。
dアニメストアで1期なら配信されてる。




ここから先は漫画2巻までのネタバレあり。アニメ1期のオリジナル要素についてのネタバレもあり。


















ギャルゲをプレイするかの如く何人もの少女を攻略していくということを漫画でやってのけるのは面白い。その構成を支えるための駆け魂というアイデアも優れている。駆け魂が入るような少女には心に隙間が存在していて、つまり何かしらの問題を抱えている。桂馬がその問題を解決できるように協力することで恋愛が成就されるという形式になっている。最初から問題解決ありきで攻略を進められるのでテンポが良い。駆け魂の存在から、攻略対象の少女は問題を抱えていることが明らかな訳だから、主人公の介入が単なるお節介にならないとわかっているので嬉しい。攻略後は記憶が失われてしまうけど、問題は解決され、少女は成長する。その恋愛には意味があって、恋愛って素晴らしいなと思う。


基本的にはアニメの方が色々と要素が追加されていて、それによって良くなってたり悪くなってたりする。漫画版はテンポが良く、コメディとしては明らかに漫画の方面白いと思う。


一期では大きく分けて高原歩美編、青山美生編、中川かのん編、汐宮栞編があったけど、それぞれの話は桂馬の物語ではなく、それぞれの少女の物語だ。彼女たちに問題があって、彼女たちがその問題を乗り越えて、彼女たちが成長する。一方で主人公の桂馬にはほとんど何の変化もない。彼自体はギャグ漫画の主人公じゃない?
ところで、少女と桂馬の関係を見ると、桂馬から少女に与える一方、少女から桂馬にはほとんど何も与えられない。これってアガペーみたいだ。作者が意識してるかどうかまではよくわからないけど。私に宗教関係の知識があればもっと確かなことが言えるのだろうな。


桂馬にはほとんど変化がないと書いたけど、決して成長の余地がないわけではない。作中で彼は幼稚な人間として描かれていると思う。論理的にものを言っているように見えて実は結構感情的。それに、ステレオタイプなものの見方だけど、携帯ゲームって子供の遊び道具のイメージが強いんじゃないか。ゲームの世界に閉じこもって現実と向き合おうとしないと書けばかなりそれっぽいだろう。彼はそれで良しとして悩んでないから問題も起こらなくて物語にもならないけど、環境や心境が変われば成長せざるを得なくなることもあるだろう。作品の最後はそういう話になるのかも。


桂馬と少女たちの非対称性が気になる。少女は恋愛をしているけど、桂馬は恋愛をしているとは言えないだろう。あくまで駆け魂討伐の一環。どこまでがそうなのかはわからないけど、ギャルゲでプレイしたことを現実で再体験してるだけっぽい。好きだと嘘をつく。少女はそれを信じる。どうなの?


攻略後には少女から桂馬との恋愛の記憶が失われてしまうことって悲しい。キスしたのに。彼女は問題を解決して、成長したけど、その彼女の隣に自分はいない。もしも記憶が失われず、恋人同士になっていたら?あの日の後、どんな話をする?デートはどこに行く?思わず「存在しない続き」を描きたくなってしまう。それから、彼女が成長したことで、もう自分の存在はなくてもよいものになってしまったのだなとも思う。まあ、桂木君はそんなこと思ってないんでしょうね。こんなこと考えてるのは私だけです。でも、この寂しさが、この物語に惹かれてしまう大きな要因なのだと思う。この気持ちを皆にも味わってほしかったからこんな記事書いて、見てくれるよう促したんだけど、どうだった?


汐宮栞さんが最後に夢小説書き出してて笑ってしまった。当時はそんなこと思いつきもしなかったのにね。


ここからはアニメオリジナル要素の感想。


アニメ11話の2人で籠城してるシーンで、汐宮さんが「話さないとわかってくれないの?」と呟いたのに対し、桂馬は「違ったか」と独りごちたんですけど、どういう心境でそう言ったんでしょう。「話さないとわかってくれないの?」という発言から、彼女が他者に自分を理解してほしいと思っていることが読み取れますよね。また、「違ったか」というのは、予想していたもの、期待していたものと実際のものが異なっていたということでしょうから、桂馬は彼女について何らかの予想や期待があったと分かります。まず予想についてですが、ここでなされる予想というのは、彼女の悩みに関するものでしょう。そして、元より彼は彼女が自分を理解してほしいと思っていることくらいわかっていたのではないかと思います。視聴者の我々から見ても、彼女の行動から悩みを推測するのは容易でしょう。そして何より10話で既にエルシィが彼女について「本当は話したいと思ってたりして」と桂馬に言っています。それを聞いて「そんな月並な図書委員は却下だ。」と返事していますし、実際のものと違っていたのは、予想ではなく期待だったのではないでしょうか。彼女が本当に本の世界で生きることに満足していて、現実の世界なんてなんとも思っていない女の子であることを彼は期待していたのではないでしょうか。聡明な読者諸君は、桂馬がそんなことを期待する理由ある?とか現実の世界なんてなんとも思っていない女には駆け魂が宿らないことくらい桂馬ははっきりとわかっていたんじゃない?とか思うかもしれませんけど、桂馬も実のところでは完全に現実をどうでもいいとなんて思ってなくて、本人すら気づいてないところで、汐宮栞という少女が自分と限りなく同類に近いかもしれない可能性に期待していたのではないかと思います。でもまあ私も自分の解釈にちゃんと納得できてるわけじゃないので、上手い考えあったら教えてください。


11話の最後のシーンもなかなか良かったです。桂馬がプレイしているゲームのヒロインである図書委員の少女から「またここに来てね!桂馬くん。」と言われ、YESとNOの選択肢が表示されている。そして桂馬がPFPのボタンを押して物語は終わり、EDが流れ出す。物語の後味が良くなる、印象的なシーンでした。ただ、このシーンの意味するところはよくわからないんですよね。ゲームヒロインの髪型が明らかに汐宮さんにそっくりなので示唆的なものを感じてはいるんですけどね。桂馬がYES→NO→YES→NO→YESと迷う様子を見せた後、決定ボタンを押す手が映される。決定ボタンを押すときにゲーム画面は見えなかったのでYESかNOのどちらを選んだのかちょっとわかりにくかったですが、NOの選択肢の位置に合わせるためにボタンを押す音が聞こえることなく、そのまま決定ボタンが押されたようだったのでYESと答えたことはほぼ明らかでしょう。単純に考えれば、また汐宮さんのいる図書館に来てもいいのかもなという気持ちが表れている気がしますが、それがどうしたと言われると本当に何もわからない。もう一度最初から見直せば新たな発見があるのでしょうか?うーむ。


言いたいことは大体言ったので、これでおしまい。お疲れさまでした。